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囲碁の歴史

名人・本因坊の歴史

名人戦・本因坊戦の歴史を追うことは、安土桃山時代以降の囲碁の歴史を追うことと同じといえます。すなわち、名人・本因坊の歴史は囲碁の歴史でもあるです。
歴史上最初の名人は、日海という僧侶です。囲碁好きだった織田信長が彼の囲碁を見て「お前は名人だ」とたたえたのが名人の始まりで、それは1578年のことでした。いまでは「料理の名人」「手品の名人」など、名人という言葉は広く使われていますが、その最初がこのときだったのです。
そして、日海について大事なことがもう一つあります。なんと彼は最初の本因坊でもあったのです。
日海は日蓮宗の僧侶であり、寂光寺(じゃっこうじ:京都にあるお寺。いまでもあります)というお寺で修行を重ねていました。彼はそのお寺の中の本因坊という塔頭(たっちゅう:お寺の宿舎のような建物のこと)に住んでいたため、隠居してから本因坊と名のるようになったのです。これが本因坊の始まりで、1603年のことです。なんと、二つのビッグタイトルの最初の人だったんですね。彼は隠居後は本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ。もしくは、ほんいんぼうさんしゃ)と名のり、囲碁の発展に大きく貢献しました。
しかし、算砂の死後は、名人と本因坊は別のものになります。簡単にいいますと「名人」は強い人に与えられる称号で、「本因坊」はある一族の名字だということになります。ある一族とは、もちろん、算砂を初代とする一族です。
江戸時代になると、四つのグループによって囲碁の大きな試合が行われるようになります。その四つのグループとは、本因坊、井上、安井、林の四つで、家元四家(いえもとよんけ)といわれています。ちなみに、この四家の代表者(家元)になるのは血筋の繋がった子どもではなく、実力のある人が家元となり、その家を代表したそうです。
この四家は御城碁(おしろご)という、年に1回江戸城で将軍の前で行われる試合で、互いに競い合いました。それぞれの家のメンツをかけた大勝負が御城碁だったのです。御城碁では、現在と違い、何日間もかけて一試合の碁が打たれたそうです。なんともたいへんですね。
では、その御城碁で勝てば名人になれたのかというと、そうではないのです。少しややこしいのですが、名人になるには、自ら名乗りを上げ、それを江戸幕府をはじめとするみんなが認めないとだめだったのです。ですので、ずば抜けた囲碁の実力はもちろんのこと、人間的にもすぐれた人でなければならなかったのです。また、当時は、いつも名人がいたのではなく、名人がいない時期もありました。名人になるような実力を持った人がいないとされた時代には名人はいなかったのです。逆にいうと、みんながその実力を認めざるをえないような飛び抜けた力を持った人だけが名人になれたのですね。
江戸時代には「碁所(ごどころ)」という江戸幕府の役職がありました(ちなみに、この碁所の元祖も本因坊算砂です)。いまでいえば、「財務省」や「国土交通省」などに並んで「囲碁省」があったという感じでしょうか。そして、名人でなければ、碁所にはなれなかったのです。名人とはたいへん名誉な地位だったといえるでしょう。
そして時は移り、文明開化を経て明治時代へと突入していきます。明治時代になると、家元四家は、政府の保護を失ってしまいます。これから囲碁界はどうなっていくのでしょう。

続きは

本因坊戦の歴史 ─明治から昭和編─

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